今泉武史物語
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10年前の4月に
僕は独立する決意ができました。
独立、と言っても純粋に一人で行うものではなく
引き継ぎながら徐々に、というものでした。
この頃家内のお腹には赤ちゃんがいました。
娘になるのか息子になるのか、
この時はわかっていませんでしたが
子どもが生まれることで、
僕が人生の選択を狭めた、とは
言いたくありませんでした。
怖さもありましたが
思い切って飛び出してみました。
結論を先に言ってしまえば・・・
もう毎日が後悔の連続でした・・・。
それまで、バイヤーの仕事をしている時などは
毎日携帯にメーカーの営業マンから
電話がかかってきていました。
辞めたとたんに、
一切電話がかかってこなくなりました。
「これか・・・
よく言われていたよな。
個人の実力ではなく
会社の看板で仕事してきたって
ことだよな・・・。」
自分の実力ではなく
会社の看板で生きてきた・・・。
自分の無力さを思い知らされているように
思いました。
塾を引き継ぐという形で
半独立状態からのスタートでした。
給与は歩合。
といっても月に15万円くらいしか
稼げない状態でした。
じりじりと減っていく貯金と
塾の集客もうまくいかない状態で
スーパーを辞めて2か月後には
後悔していました・・・。
先の人生が見えすぎてしまうことに対して
閉塞感を感じていたのですが
この頃は、先の人生が見えない不安感で
胸が押しつぶされそうになっていました。
でも、この不安感の苦しみは
この時から3年以上も続きました。
この頃の僕を思い出してみると
会社を辞めることが
ゴールになっていたように思います。
当時の社長、専務、管理部の人たちからの
評価は低かったです。
惣菜部門で新入社員で入ったのは
僕の年からでした。
同期入社の仲間は
すでに退職していました。
惣菜部門のことを誰よりも
考えていたつもりですし、
売上を伸ばすこと、
商品に関すること
業界に関することも
社内で一番知識も経験もありました。
しかし、僕の会社からの評価は
低かったです・・・。
苦汁を飲んだ数々の出来事を上げれば
キリがありません。
僕は、社長や専務や管理部に対して
【仕返し】をしたかったのだと思います。
そんな考えを「夢」で
コーティングしていました。
だから、うまくいくわけがありません。
独立早々不安感に満ち溢れた
31歳の夏でした。