飲食店で独立することを夢見たものの
過酷な生活になりそうな予感から
飲食店での独立を諦めた甘ちゃんな僕でした。
それでも、どこかで「独立するぞ!」
という気持ちを持っていました。
栃木県足利市での勉強会を通じて
ある社長と出会いました。
その方の奥さんが学習塾をやっていて
誰か後継者がいたら基盤そのままで
譲りたい、ということをおっしゃっていました。
はい、出てきました!
僕が学生時代に悩んだもう一つの人生です!
勉強ができなかった僕が
頑張って偏差値37 ⇒ 68まで上げられたので
同じような子供たちに教えてあげたい
「やればできるんだ!」ということを教えたい!
と思いました。
「ぜひやらせてください!」
というお話をしました。
今から10年前の2005年の3月でした。
この頃は、会社の数値も改善でき、
予算を大幅に達成したころでした。
自分は何でもできる!
という気持ちになっていました。
気持ちに後押ししたのは
「55歳役職定年制」
という社内の制度でした。
僕が新入社員だった頃に
鮮魚部門のSVで、
のちに惣菜社員の面倒をよく見ていただいていた
岡田店長が役職定年制第一号で、適応されました。
個人的にも、部門としてもお世話になった方が
年齢という切り口でいきなり夜間責任者に
なりました。
「あぁ・・・、55歳になったら
僕もこうやって会社に捨てられるのか。
まだまだ実力もあるし、お子さんだっているかもしれない。
でも制度が変わったからと言われたら
いやでも従わなければいけない・・・。
そんな理不尽な環境に負けないように
自分の力で生きていく力を付けたい!」
と思うようになりました。
もともと社長からも専務からも
管理部門からも評価よくなかったのですし(笑)
師匠の小林さんは辞めてしまってましたから
誰も本気で僕を引き止める人もいないと思っていました。
良く自分の未来を考えていました。
当時31歳でしたが、
「そのまま惣菜であと10年はやっているだろうな・・・」
という姿が容易に想像がついてしまったのです。
直属の上司であったH部長は当時48歳でした。
精肉のバイヤーだったH川さんが40歳。
S専務は65歳くらいかな?
社内で順当に行った時の年齢のマイルストーンを見て
「う~ん・・・」
と思ってしまいました。
途中で飛ばされる人たちの姿も見てきましたので
どちらにしても魅力を感じることはできませんでした。
先が見えることの絶望感を味わっていました。
しかしまあ、贅沢な悩みです。
この数か月後、
僕は先が見えない絶望感を味わうことになるのですが(笑)
この時はまだ、そんなことを知る由もありませんでした。
僕は学習塾を第二の仕事とする決意をしました。
31歳4月のことでした。
続く
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株式会社 エリアワン
代表取締役 今泉 武史
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