実は僕は高校生の頃英語が全くできませんでした。
どれくらいできなかったか?かというと
中学英語すらダメなくらいです。
中2で躓き、それからほとんど勉強せずに高3まで来ました。
なぜ進級できたのか?も不思議なくらいですね(笑)
高校3年生の夏、模擬試験の結果は悲惨なものでした。
偏差値なんと37。
「偏差値40以下なんてあるんですか?@_@;」
という感じでした(笑)
僕は1973年、昭和48年生まれです。
僕たちの世代は団塊の世代の次に多い世代でした。
毎年センター入試では過去最高の受験者数が発表されていました。
偏差値50以下の大学はほぼありませんでした。
沖縄にある大学の芸術学科くらいだったと思います。
その中で偏差値37とは大学進学をあきらめろ、
という話です。
高校生の頃、まぁいわゆる反抗期真っ盛りだったこともあり
家から出たくて仕方ありませんでした。
両親との折り合いも悪く、
ほとんど話をしない状態でした。
中学生のころまでは明るく社交的、
無邪気な少年だったのですが、
僕は高校入試で失敗したこともあり
一気に根暗で誰ともしゃべらないような子どもに
なっていました。
親の期待に応えられなかった自分と
やり場のない怒りと、
そんなものを抱えていました。
勉強で挫折感を味わっているので
勉強をすると、また挫折する、
みたいな思いも持っていたと思います。
まぁやらない言い訳ですが(笑)
で、大学進学しないことには
家から出ることができない、と
思っていました。
「働けよ」って感じですね(笑)
依存しつつ反抗する・・・
つくづく甘ちゃんでした。
高3の秋から勉強に火が付き、
結果的には1年浪人しましたが
1年で偏差値が68まで伸びたことがありました。
まるでビリギャルみたいですね(笑)
華がない根暗少年でしたが・・・。
この時の1年で37から68まで
伸ばせた経験は、
その後の人生に大きな影響を与えてくれました。
今でもそうなのですが
「あの時、僕はあれだけ頑張れたのだから
どんな困難がやってきても乗り越えられる!」
という自信につながりました。
なので、勉強で挫折した子どもたち
傷ついた子どもたちに自信を持たせてあげたい
と思っていました。
「塾の先生になりたい」
というのが、もう一つの夢として
あったのです。
「塾にするか?世の中と密着する仕事をするか?」
迷う22歳の夏でした。
続く